لومړۍ 200 کرښې.
“道徳的な世界の弧は 確実に―”
“正義に向かっている セオドア・パーカー”
ハイチ カンジュ 2002年
ようこそ
〈こんばんは〉
〈ポール〉
彼らは多剤耐性結核患者です
彼らは多剤耐性結核患者です
〝ポール・ ファーマー博士〞
〝ポール・ ファーマー博士〞
〝ポール・ ファーマー博士〞
あの紫外線ライトには―
あの紫外線ライトには―
結核菌を殺す効果があります
彼らは今「羊たちの沈黙」を 鑑賞中です
〈名作です〉
こんばんは
彼女に体調を尋ねたら
“前と比べたら 最高”だそうです
痩せ細って見えても 体重も増えました
〈希望を失ってた〉
〝パートナーズ・イン・(PIH) ヘルス 共同設立者 オフィーリア・ダール〞
〝パートナーズ・イン・(PIH) ヘルス 共同設立者 オフィーリア・ダール〞
10月2日に治療を始めた
10月2日に治療を始めた
この数年で激変しました
瀕死状態だった彼女が―
回復しています
魔法などではなく
適切な治療が 行われたというだけです
患者を診てほしいそうだ
さらに多くの人が基本的な―
医療を必要としています
しかし この活動なしで―
状況が変わる 可能性がありました
植民地主義が終わり
新興国は明るい未来を 描きました
今では 忘れられていますが
今では 忘れられていますが 1978年
アルマ・アタという町で
各国の政府が 革命的な約束をしました
完全な医療を最貧国から 全人類に行き渡らせると
身体的 精神的 社会的に 完全な状態の健康は―
基本的人権です
その実現には全政府による 行動が必要です
“全人類の健康を目指す”
しかし この構想は 実現しません
代わりに富裕国の 大きな勢力が
代わりに富裕国の 大きな勢力が 〝世界銀行〞
新興国を侵害する計画を 進めました
そこから貧困 病気 混沌が 生まれました
その頃 私たちは ハイチで出会いました
ハイチ 1983年
ハイチ 1983年
1983年1月の夜遅く 到着しました
1983年1月の夜遅く 到着しました
私は18歳と半年でした
とても圧倒されました
これが世界の現実だと 分かったからです
眼科団体のボランティアでの 出張診療の際に―
ポールに会いました
すぐに気が合い
人生や家族について 話し合いました
彼が世の中へ不安を 抱いているのを感じました
〝医師 人類学者 ポール・ ファーマー博士〞
〝医師 人類学者 ポール・ ファーマー博士〞
手を たたきますよ
手を たたきますよ
薬を出そうか?
昨日のことのようです
私は23歳で 医学部に進む前でした
ハイチに深い関心があり―
欧米以外への 初めての旅でした
行きたいと願うほど
憧れていました
私は若く意欲的でしたが
何も知りませんでした
その頃 出会った―
オフィーリアは 私より若かった
今もだが…
彼は現地の病院で 職を探しましたが
失敗します
彼はミバレの診療所を 手伝っていました
治療はせず バイタルサインを測り
道徳的に支えました
診療所の前には 行列ができました
医師も極限状態でした
彼には研究室も 何もありません
医師は苦情を聞き 聴診器を使い
別の場所へ回します
全員 別の場所に 移すべきでした
ハイチ中が同じ状況で
私は治療しない方法を 学んでいました
医者になると決めたのは 12歳か13歳の頃でした
父は学校の教師で 1年フロリダで勤務しました
父が購入したバスは―
結核のスクリーニングに 使われていました
そのバスで―
キャンプ場へ行きました
一時的にでは ありませんでした
進学で離れるまで 車内生活でした
彼の経験は 恵まれない人を 意識するという―
大切な感覚に つながっていました
ですから彼はハイチで 熱心に話を聞き―
地元民から学ぼうとしました
運命だと言えます
フリッツ神父の元で 働く機会を得たんです
〈初めて会った頃 ポールは とても若かった〉
〈ハイチ語もフランスも 話せて〉
〝PIH共同設立者 神父 フリッツ・ ラフォンタン〞
〝PIH共同設立者 神父 フリッツ・ ラフォンタン〞
〈理解し合うことが できました〉
〈しかし何も知らなかった〉
神父が働いていたのは
さらに奥地にある カンジュでした
住民はダム計画で 退去させられました
彼らは洪水に見舞われ 全てを失い
移動させられました
何もない丘へ
未熟な開発計画が 現地の貧しい人々に
与える影響を痛感しました
あんなに悲惨な環境は 初めてでした
ショックを受けました
貧困による破壊力の すさまじさを学びました
“何とかしたい”と 思いました
彼らに何が必要かを―
調べ始めました
神父は言いました
“彼らは病院が欲しいと 言うだろう”
“適切な住居と学校も”
〈主人は半年間 病気なんです〉
計画が必要でした
診療所を建てたくても
資金がありません
〈ポールはハーバード大学に 出願していました〉
フリッツが医学部への
入学許可書を 渡してくれました
“ほら”と
彼は合格だと予想し 喜んでいました
〈彼は 残って 働きたいと言いましたが〉
〈私は反対しました〉
厳しく言われました
そのとおりです
学歴があるほうが 効果的ですから
入学のために帰国する際―
現地に病院を建てる夢を 描きました
資金も経験も 知恵もないですが
悪い計画ではありません
ボストン
ボストン
ジム・キムに会ったのは 1983年12月
ジム・キムに会ったのは 1983年12月
雪の夜でした
彼は おしゃれで
高価な服に スカーフを巻いてた
高価な服に スカーフを巻いてた
〝医師・人類学者 ジム・ヨン・キム博士〞
〝医師・人類学者 ジム・ヨン・キム博士〞
〝医師・人類学者 ジム・ヨン・キム博士〞
借り物だったようですが…
彼と話し すばらしい 人物だと思いました
彼は教授のように ゼミに参加していました
同じ研修で―
意気投合しました
そこで親友になりました
ポールと私は―
社会的正義のために 医学部へ進みました
止めていい?
重要なんです
始める?
医学部時代は よく夜更かしし
オフィーリアも含めて 話し合いました
“世界での 私たちの責任は?”
〝道徳的に明確な 領域は?〞 〝フィデル〞
適正技術のような考え方は
貧困層を 罰するために使われてる
ほかの理念も同じだ
ボスのフリッツによると 適正技術は
“貧乏人ではなく 富裕層が得をする”
深夜の会話の中で
気づいたんです
これらの大きな力が カンジュで知り合った人々に
恐ろしい影響を 与えていたと
アルマ・アタの直後 世界経済は破綻しました
アルマ・アタの直後 世界経済は破綻しました
〝債務危機悪化に 伴う幸運〞
〝債務危機悪化に 伴う幸運〞
〝債務危機悪化に 伴う幸運〞 多くの国が巨額の借金を 背負いました
多くの国が巨額の借金を 背負いました
多くの国が巨額の借金を 背負いました 〝西欧の銀行が 近々破綻〞
〝世界銀行 国際復興開発銀行〞
〝世界銀行 国際復興開発銀行〞 世界銀行などの 巨大機関は―
世界銀行などの 巨大機関は―
世界銀行などの 巨大機関は― 〝米国代表〞
貧困国に融資し 借金を返済しました
厳しい条件つきで
各国が必要な改革を 行わない限り
各国が必要な改革を 行わない限り 1981年 世界銀行年次総会
1981年 世界銀行年次総会
1981年 世界銀行年次総会 援助しても 進歩はありません
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