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ねえ、「キムズ・ビデオ」って 知ってる?
すみません。
もしかして、「キムズ・ビデオ」 をご存知ですか?
住所はわかりますか?
いや、前はここにあったんだけど、 もうなくなっちゃって。
ああ、昔ここにあったものの多くが もうなくなってしまったんだ。
ええ、それはここでも よく見かける光景です。
ただ映画をレンタル したいだけなんですが。
キムズ・ビデオはここにあったはずなんです。
キムズに何が起きたか 知りませんか?
多分、廃業したんでしょう。
でも……。
そうでしょうね。
もう誰もビデオなんて 借りませんから。
キムズ・ビデオを知っていますか?
キムズ・ビデオを探しているんです。
前はあそこにあったんですが。
- そうなの? - ええ。
キムズ・ビデオを 知っていますか?
知っていますよ。
- お客さんでしたか? - はい。
どんな店でしたか?
最高でした。
ええ、最高でしたよ。キムズ・ビデオに 何が起きたか知っていますか?
いいえ、知りません。
そうですか。キムズ・ビデオに何が起きたのか ずっと調べているんです。
私も以前、 会員だったので。
- そうなんですか? - ええ。
単にデジタルの時代のせい でしょうね。
それで店が潰れたんだ。
私はテキサス州パリスの あまり遠くない場所で育ちました。
何もない田舎です。
ヴィム・ヴェンダース監督の映画の 舞台となった架空の場所です。
トラヴィス・ヘンダーソンが 砂漠で迷子になる物語です。
私が映画作りに目覚めたのは、 ヴェンダースの映画がきっかけでした。
初めて映画を撮ろうという情熱を。
両親は17歳で 私を産みました。
6歳の時、彼らは私を 祖父母の元へ送りました。
それが私が映画に 取り憑かれた時期です。
夜遅く、映画を見ろという 声が聞こえてくるようでした。
映画を見るために こっそりベッドを抜け出しました。
『ポルターガイスト』の キャロル・アンのように。
画面に手を伸ばして 触れようとしました。
画面の静電気を 体中で感じるために。
それが向こう側の世界からの 幽霊だと想像して。
ある夜、テレビをつけると
『シンドバッド 虎の目大冒険』が 放送されていました。
あの時感じた恐怖は今も覚えています。
英雄たちの顔に浮かんだ 恐怖の表情。
彼らは遥か彼方の地へ行き、 思いがけず怪物と戦ったのです。
私にとって映画は想像上のものではなく、 現実そのものでした。
時々、フィクションと現実の 区別がつかなくなることもありました。
一度、リチャード・リンクレイターの 映画『スラッカー』の
登場人物を探そうと、 オースティンまで車を走らせました。
私は映画を作りたかったし、 映画に囲まれて生きたかった。
しかしテキサスの田舎では、 映画を見つけられる一番近い場所は
ウォルマートでした。
15歳の時、結局そこで 働くことになりました。
ただ映画の近くにいたくて。
ある晩、店長が――『マノス』に出てくる マスターに似た男でしたが――
私を呼び出し、話をしようと言いました。
驚いたことに、彼はゴミ袋から VHSテープを取り出して言いました。
「店の裏のゴミ箱にこれが捨ててあったぞ」
彼は私を、そのビデオを盗もうとして ゴミ袋に隠した犯人だと決めつけました。
『犬ヶ島』のように、 私たちは対立しました。
驚いたことに、彼はゴミ袋から いくつかのVHSを取り出した
私の負けでした。
彼は言いました。
「ここから出て行け、二度と戻るな」
数年後、私はある声が聞こえるようになりました。
『クリーン、シェブン』に出てくる ものと似た声でした。
声は私に、立ち去れと言いました。
「出て行かなければならない!」
私はニューヨークへ移り住み、 ブルックリンで暮らしました。
でも一番のお気に入りは イースト・ヴィレッジでした。
ある夜、帰宅途中にクラブの前で たむろしていたグループに聞きました。
「映画はどこで見つかる?」
彼らは呆れた顔でこう言いました。
「キムズ・ビデオだよ」
店に入ると、ライブバンドが 音楽を演奏していました。
音楽はうるさかったはずですが、
すべての音が消えたように感じました。
映画のおかげで心が落ち着いたのです。
ここが私の新しい家だと、 すぐに悟りました。
ホッとしました。
悪夢から目覚めたダイアナの ような気分でした。
私はコレクションに 没頭しました。
映画のおかげで安心できました。
そこには他では決して 見つからないような作品が
山ほどあったからです。
存在すらしない 映画の海賊版までありました。
VHSやDVDでも出ていないような。
ヨーロッパの珍品や、
最もマイナーな作品まで揃っていました。
まさに宝の山でした。
私がキムズで見つけた お気に入りの映画は、
ニューヨークで撮影されたものです。
特にイースト・ヴィレッジが舞台の作品。
VHSやDVDでリリースされたものだ。
1987年当時、このビデオ店に 足を踏み入れた時の衝撃は、凄まじかった。
クールな場所の金脈に 踏み込んだような気分でした。
「上の階に持っていくぞ」
「パスなしで上の階には行かせない」
「今すぐそのテープを届けるんだ」
「動くな、そうすれば傷つかずに済む」
- 行くぞ! - 聞こえたか?
そこは、映画を見たり
当時、1987年のことだが、 足を踏み入れた
風変わりな本拠地のようでした。
一風変わった映画を手に入れるなら、 ここしかなかったのです。
当時のニューヨークを映した 映画の多くを見ると、
イースト・ヴィレッジのいたるところが 描かれていて、本当に衝撃的です。
あまりにも危険な場所でしたから。
廃墟のような建物から
小さな缶が吊り下げられ、
人々がヘロインを求めて 列を作っていました。
警察が来ると、彼らはすぐに 建物の中に逃げ込み、
見つからずに済むのです。
ポール・モリセイ監督の 『Mixed Blood』にも出てきます。
今『タクシードライバー』を見ても、
怖いとは思いません。
むしろ「ああ、なぜあの頃のままじゃないんだ」と、 残念でなりません。
本当に懐かしいんです。
私がニューヨークに着いた頃には、
イースト・ヴィレッジは再開発が進み、
焼けた建物はブティックに 変わっていました。
それでも、過去の亡霊たちは
現代の中にしっかりと 息づいています。
キムズ・ビデオはその歴史から 生まれたのです。
数々の物語を集め、
それらの居場所を与えたのです。
キムズ・ビデオのオーナーは キム・ヨンマン氏でした。
韓国の軍隊での任務を終え、
1979年にニューヨークへ渡った
21歳の移民です。
彼はクリーニング店を経営していましたが、
いくつかの海賊版VHSを 棚に並べて
貸し出すというアイデアを思いつきました。
キム氏のビデオレンタル事業は、
クリーニング店より成功し、
最初のビデオ店をオープンしました。
ヨーロッパやアメリカから集めました。
キムズ・ビデオには2万7千本以上の 映画がありました。
世界44カ国から 集められた映画です。
最も有名な店舗は、セント・マークス・プレイスにあった 「モンド・キムズ」でした。
モンド・キムズには5万5千本以上の映画と、
25万人もの会員がいました。
1979年にニューヨークへ 到着した彼は
国際映画祭に派遣し、
未公開の映画を探し出させていました。
私たちは夢を見る夢想家であり、
海賊版のVHSが 棚に並べられていた
彼はニューヨークの大使館に 映画をリクエストして、
コレクションを増やしていきました。
VHSをコピーして、 店でレンタルしていたのです。
噂が広まり、
企業から苦情が寄せられました。
キムズ・ビデオには 2万7000本以上の映画がある
私たちは積極的に
貴重な映画を収集していました。
私たちはあのテープを 本当に誇りに思っていました。
モンド・キムズには 5万5000本以上の映画があり
海賊版VHSの棚がありました。
私たちはスーツ姿の男たちが
バッグを取り出し、棚から
VHSテープを次々と押収するのを眺めていました。
その1週間ほど後には、キム氏が
スタッフと一緒に店にやってきて、
棚全体を新しい海賊版で
埋め尽くすのでした。
彼はVHSをコピーして 貸し出していた
ゴダールの『映画史』があります。
映像のコラージュによる エッセイ・フィルムです。
ゴダールの顔が
そして2003年、FBIが キムズ・ビデオを家宅捜索した。
ジャン=リュック・ゴダールの弁護士から
警告書が届きました。
人々にその作品を届けられたことを誇りに思います。
私たちは法を超越した存在だと感じていました。
法律は「所有権が重要だ」と言いましたが、
海賊版VHSテープの。
「映画の所有権よりも重要だ」と主張したのです。
これらの袋を取り出し 何列にも並んだ
VHSテープを片付けるのです。
1週間ほど経つと、キムさんが
店員を一人連れて 店にやってきて
棚の列すべてを
新しい海賊版で埋め尽くすのです。
キムさんが海賊版を作った映画に
ゴダールの「映画史」があります。
映像のコラージュによるエッセイ映画です。
このシーンではゴダールの顔が
絵画に重ね合わされています。
ジャン=リュック・ ゴダールの弁護士から
停止通告書が届きました。
それを人々に届けられたことを誇りに思います。
私たちは法を超越している気分でした。
法律は「所有権が重要だ」と説きますが、
私たちは「映画の知識の方が 所有権よりも重要だ」と
主張したのです。
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