Mistari 200 ya kwanza.
NETFLIXオリジナルドキュメンタリー
曲の意味は 人によって全然違う
聞かれるとこう答える
“君の思う通り”
僕の考えによって…
君の想像を壊したくない
答えは千差万別
フォークは何かと聞くなら
僕が思うに フォーク音楽は何千年もの―
過程をたどっている
昔 アフリカ唯一の 録音スタジオで―
ズールー族の男が―
歌った13の音が 千5百〜千6百万ドル稼いだ
彼の死後その利益は―
子孫に 受け継がれなかった
このような曲は 世界中に沢山ある
嬉しい事に多くは ここに持ち運ばれる
この曲を一緒に歌おう
南アフリカから来た
3〜4歳の時だ ハッキリ覚えている
母はマカロニを作っていた
母は生き生きとした性格で いい声をしていて―
彼の曲を明るく 口ずさんでいたんだ
無意識に
いいね!
世界中誰でもあの曲を聴くと うなじが逆立って―
ウキウキしてくる
こんな風に 距離と時代を超えた曲は―
他に思いつかない
ピート・シーガー 〝ウィモウェ〞 1952年
タイト・フィット 〝ライオンは寝ている〞 1982年
トーケンズ 〝ライオンは寝ている〞 1961年
イン・シンク 〝ライオンは寝ている〞 1996年
「フレンズ」 〝ライオンは寝ている〞 1996年
アンリ・サルヴァドール 〝ライオンは寝ている〞 1962年
ザ・マペッツ 〝ライオンは寝ている〞 1996年
「ライオンキング」 〝ライオンは寝ている〞 1994年
何と言っているのか
それは “ライオンは寝ている”
死んではいない 寝ているだけ
起きたら僕らを自由に導く
曲の生い立ちを知らなくて―
驚きと恥ずかしさを 隠せなかった
その重要性に気付いたのは 白髪が生えてから
1939年の原曲を聴くまで 全くの無知だった
ソロモン・リンダ& イブニングバーズ 〝ンブゥベ〞1939年
作家で記者のリアン・ミラン
彼の祖先が南アフリカに 現れたのは17世紀
血縁のDF・マランは 国民党 初代首相として―
アパルトヘイトを 確立した人物
その事実に 生涯苦しんでいる
リアン・マランの家 南アフリカ ヨハネスブルグ
おかしな犬だ
僕はリアン・マラン
南アフリカ生まれの白人
作家で音楽家でもある
大酒飲みでタバコも吸う
コーヒーを飲もう
若い頃は 耐え難い 歴史と罪悪感に悩み―
埋もれてしまいそうだった
マラン家の歴史は―
少年の意識にはあまりに 重荷だった
DF・マランと―
僕の祖父はいとこの間柄
南アフリカ初の アパルトヘイト首相だった
人種差別と白人至上主義に 基づいた政策で
罪悪感とその複雑さに 心が裂けた
父は黒人への弊害に―
目をつぶって対処した
政府の厳しい 政策に対するデモは―
南アフリカ中で 暴動化している
幼い頃 タイム誌で チェ・ゲバラの記事を読んだ
ベレー帽をかぶった 彼の写真はカッコ良かった
自分を共産主義者に見立て 使用人のミリアムに―
大きくなったら アパルトヘイトを撤廃して―
自由にしてあげると宣言した
彼女に感謝されると 思ったが “アスーカ”と
意味は “バカを言うのはおよし”
まったくその通り
アフリカ人が好きだった
一緒に過ごしたり―
彼らの音楽をラジオで聴き 食べ物も好きだった
アフリカの物語では お決まりかもしれないが…
黒人を解放する 勇士になりたかった
70年代前半のある晩
友達と家を抜け出して グラフィティを―
エンパイア通りにある 石壁に書いた
“誇りある黒人だと叫べ!” と2メートル近い文字で
僕らの作品は―
地元の新聞に載った
警察が捜査していると
カッコいい行動だと思った
悪の帝国に一発撃ち込んだ
でも南アフリカ青年は 時期が来ると軍隊に入り―
共産主義者と戦う事を 強要された
アパルトヘイトの 意義に反対だった
徴兵を数年逃れたが 限界に達し―
1977年5月9日 飛行機で “人種のるつぼ”に向かった
〝ベニス大好き〞
LAに辿り着き―
N(ネルソン)・マンデラの名前で ロックの批評を書いた
不法滞在だから 本名は使えなかった
飛行機が着陸した時―
お前は何者で何をしにきた?
そう聞かれたら―
正義感のある 白人だと答えていた
物心ついた時から アパルトヘイトに反対だ と
本当の理由はわかっていた
人種問題の解決は不可能だと 思ったから
そんな事は無理で―
醜い戦争が必ず起きる
僕は臆病で 関わりたくなかった
最後の戦いが始まったのは 30歳くらいの頃
1984年9月
大がかりな暴動が起こり―
あっという間に 国中に広がった
人々は石で 警察の武装車に挑み―
毎日人が殺された
遠くから見ていた
戻らずにいられない…
向き合わねば
記者であり 若く野心もあった
今までにない 画期的な本を書きたかった
〝南アフリカ〞
「反逆者の心」は根深い 人種的恐怖と憎悪を語ります
リアン・ミランの祖先は 3百年前アフリカに移住
去年出版されて以来―
南アフリカの実態を
容赦なく追求する姿勢が 絶賛されています
こう書いてあります
〝白人は黒人を 危険と見なしたり〞
〝被害者と見たり 革命の英雄ともみなす〞
〝明確に 見れるのは少数〞
ご自身の見解は?
南アフリカの白人の 体験を表現するのは難しい
偽るのに疲れた
これが真実だ
私 マランもその1人 頭の中はこう
己を否定するほど 惨めなことはない
黒人は好きだが怖い 怖いのに好きなんだ
その当時の南アフリカ 白人が共有した―
人種的心理作用と―
不合理な恐怖を 僕も抱いている
それを書くべきだ
南アフリカにとって 最も重要な課題だ
僕は複雑な国に生まれた
違いを公に 素直に 認めなければ
心をむき出しにして…
救いはあるのかを見極める
心の暗闇に打ち勝つには 互いへの信用しかない
そして音楽
世界中の人々の興味と―
関心を集めています
このことです
1999年に登場―
ジョニー・クレッグ 別名 白人ズールー
クロスオーバーの ズールーポップ歌手
彼にバーベキューで 会った時―
“ンブゥベ”という曲の 話をされた
1930年代にヨハネスブルグで 録音されたと
博識ある南アフリカ人として 自尊心はあったが―
自分の無知に驚きと 恥ずかしさを隠せなかった
ソロモン・リンダの名を その時 初めて知った
ロブ・アリンガム ギャロ音楽出版社 元記録保管人
リアン・マランを紹介され 彼から連絡が来た
彼がこの曲の生い立ちを―
掘り下げだした頃
1939年のヨハネスブルグ
S(ソロモン)・リンダはズールー人の 出稼ぎ労働者だった
日中は単調な仕事を していたが―
夜はイブニングバーズの リードシンガーだった
当時 多くの黒人は 立ち退きにあい―
田舎を離れざるを得なくなり 都市に仕事を探しに来た
ソロモンはカールトン・ ホテルで働きだした
アフリカに突然築かれた 大都市には―
彼が育った土地にはない 高層ビルや電気があった
何か用?
ボスがこの手紙を渡せと
勤務時間外に―
彼らは集まって 合唱団を組んだ
アフリカ系アメリカ人の ルーツ音楽と―
民族音楽のミックス
週末に合唱団は競い合った
ソロモンの音楽的才能は とにかく優れていた
素晴らしいボーカリスト
それで…
彼は自分の合唱団を―
率いることになった
ギャロの録音スタジオは
アフリカで 初のスタジオだった
バックでアカペラが始まる…
中音はこんな感じ…
“ンブゥベ”が録音された
テイクは3回
2回目の最後で―
彼はコーラスをインプロした
ソロモンが マイクに向かって―
歌った音色は…
歴史を変えた
“ンブゥベ”は10万枚売れた
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